カツカツ・・・・





磨き上げられた広い大理石の床に、ブーツが軽い音を立てた。

だが、その軽やかな音とは裏腹に、その人物は険しい顔つきで腕を組み、ただひたすら奥へと進んでいった。









ここはユレイス大陸中央に位置するアズベリア国。
特に大国というわけではないが、国中に平原があり、三本のタオ、ネピア、フィラの河が流れ、台地が豊かで天候も穏やかな大陸―平和な国。
古の文献によると、かれこれ200年は大きな争乱がないとされている。


――――――――が。


どんなに光が満ち溢れていても、常に影は存在する。

平和なアズベリアに、200年ぶりの危機が迫ってきた。
アズベリアの豊かな土地に目をつけ、北の大国・ガーボエルが宣戦布告をしたのだ。
半年以内に服従しなければ、力尽くでアズベリアを掌握する≠ニ・・・・。

ガーボエルとは、ユレイス大陸に位置し、大陸の三分の一の領土を誇る超大国だ。
広大な領土のほとんどは黒い森≠ニいわれる暗く針葉樹しか育たない森で覆われている。
そのためか、世界で最も黒魔術と機械が発達している、恐ろしく強大な帝国だ。

そんなガーボエルに目をつけられ、平和に慣れ切っていたアズベリアの人々は怯えきっているのだ。






この状況の中、アズベリア城の回廊を一人歩く闇色の騎士がいた。


アズベリア王族騎士団団長キアルアーズ・クレシェア。アズベリア将軍ギアトの一人娘である十八歳の女戦士だ。
彼女にはキアラ≠ニいう愛称があるのだが、現在その愛称を使うのはたったの一人。

彼女にはもう一つ、「漆黒の若獅子」という呼び名がある。

その名のとおり、彼女はまるで獅子の鬣のような見事な金髪とどんな動きも見逃さない鋭い眼を持ち合わせていた。
だが、キアラ自身はいつもそれを覆い隠す闇色のマントに身を包んでいた。
本人曰く、この方が隠密行動に適している≠ゥらだ。

そのキアラが今、頭を抱えつつ、    と歩いている。

今、陛下より呼び出されるとはー・・・
キアラは眉をひそめた。
恐らくガーボエルの事・・・・
団長の自分が呼ばれるということは、ガーボエルに何か動きがあったのだろうか。

とにかく、たとえ何があっても、この国を守らねば
ぎゅっと拳を握り締め、キアラは俯いていた顔を上げた。


陛下のために。民のために。そしてー・・・私自身とあの方のためにー・・・・・



ばさりと闇色のマントをひるがえし、キアラは最後の角を曲がった。
巨大な扉が目に入ってきた。



―キアラを待ち受ける、国王の間だ―



国王の間というだけに部屋の中には至る所に最高級の調度品が置かれていた。
天井のシャンデリアが太陽のようなまばゆい光を放つ。

しかし、すでに部屋に集まっていた国の重鎮達(その中にはキアラの父である将軍ギアトの姿もあった)の顔は暗い。
部屋中の重苦しい空気に圧倒されつつも、キアラは床に片膝をつき、頭を下げた。
サラサラと彼女の長く美しい金の髪が揺れた。

「国王陛下、アズベリア王族騎士団団長キアルアーズ・クレシェア、参上しました」
部屋の奥からうむ、という返答が返ってきた。アズベリア国王だ。

「今日、そなたを呼び出した理由・・・・。薄々は、分かっておろう」
「はい。」
「そなたも知っておるように、我がアズベリアは北のガーボエル帝国によって恐怖にさらされておる。」
「・・・・はい。」

知っていたことだが、こうして国王から直々に告げられることは、心苦しかった。
王の言葉一つ一つに民に対する想いが滲み出ていたからだ。

「もはや、一国の猶予も無い。もし、ガーボエルが襲ってきた時、私は全力を持って民を守る。
 だが、いかにこの国の、そなたが指揮する騎士団が優れていたとしても、相手はあのガーボエルだ。苦しい戦いとなる。
 そこでだ。キアルアーズ・クレシェア、そなたに旅を命ずる」
「旅・・・ですか?この、非常時に!?」
「そうじゃ。我が国は今まで200年間、平和に包まれていた。故にほとんど他国に頼ったことが無い。
 しかし、今は我が国だけでは無事に済まぬ。他国に頼るほか無いのだよ。」
「では、この私が同盟を取り付けるのですか!?」

キアラは目を見開いた。
いくら国の重要な役職についているとはいえ、自分はまだまだ幼い。
そんな自分が国の存亡を握る大役を引き受けてしまってよいのだろうか。

「そなたはまだ大変若い。だがその実力は私も認めている。
 そなたの忠誠心は、私に長年仕えてくれておるそなたの父に勝るとも劣らない。
 だから、私はそなたにこの国の運命を託してみようと思う。」

キアラは胸が熱くなった。
国王にこれほどの信頼を寄せられるなど、この上ない名誉である。

キアラはちら、と王のそばに控える父を見た。
父の顔は先ほどと変わらず、固いままだったが。キアラには父が自分に何を言わんとしているのかを理解することができた。
言って来い。お前なら、きっとできる―――
そう、父は語っていた。
私は、アズベリア中に信頼されている・・・・!
キアラは王に誓った。

「了解しました、陛下。必ず同盟を結んでみせます。」











王の間を後にしたキアラは再び回廊を歩いていた。
その足取りは重くなったり、軽くなったりしている。
軽くなる理由は、王の信頼を得て、大役を任せられたことだ。

そして重くなる理由は、大役という重荷を背負ったことと、もう一つ・・・・


「キアラ!」


その時、ふいに声がしてキアラは我に返った。
声のしたほうを振り向く。キアラはこんな状況でも自分が喜んでいる事に気付いた。
振り向くと、一人の青年がそこにいた。

「ソルヴォート王子・・・・」
そこにいたのはこの国の王子であり時期国王のソルヴォートだった。
銀の髪に情熱的な紅石のような紅い瞳の、とても整った顔立ちの青年だ。

「キアラ、父上から聞いたが、同盟を取り付けるために旅に出るというのは、本当なのか!?」
ソルヴォートはキアラの肩をつかみ、吠えるように問い詰めた。
その瞳には、怒りと動揺が入り交じっていた。

「ええ。本当です」
「何故承知したんだ!?そんな事をしたら、君の命がガーボエルに狙われてしまう。危険すぎる!今すぐ役を降りるんだ!!」
「いいえ。私は絶対にこの役目を果たしてみせます」

キアラの瞳は決意に満ちていた。その強さにソルヴォートは眉をひそめる。
「・・・どうしてそこまでするんだ」
「この国を守るためです」
「だからといって何も君がそんな危険な目に逢うことはない!君にもしもの事があったら、私は・・・・・」

ソルヴォートはキアラを強く抱きしめた。ここにとどまれ、という気持ちを伝えるために。
キアラはソルヴォートの想いを痛いほど感じ取り、悲しげに目を閉じた。

キアラとソルヴォートは恋人なのだ。

もともと幼馴染として育った二人は、自然と好き合っていった。
けれど、たとえ将軍の娘といっても臣下は臣下。二人の身分違いの恋は秘密だ。

「頼む、キアラ。行かないでくれ。もし、どうしても行くというならば、私も共に行く」
「――それは駄目です」
ぴしゃりとキアラは言い、抱擁から身を離して真っ直ぐソルヴォートの瞳を見つめた。

「ソルヴォート様。私は貴方の愛するこの国を守りたいのです!」
「キアラ・・・・」
悲痛な面持ちでソルヴォートはキアラを見つめた。

「ソルヴォート様はこの国に残って、この地を守ってください。私が帰ってきたときのために」

キアラは強い眼差しで言った。

「・・・・分かった。必ず戻ってくるんだぞ」
ソルヴォートははぁ、と疲れた息をした。

昔から自分の恋人は父譲りの正義感から、何度となく危険に立ち向かっていたのだ。
その度に自分はハラハラして、必死に押さえ込んでいた。


「キアラ、これを」

ソルヴォートはキアラの手に、そっと金色のものをのせた。
「・・・・?これは?」

それは金の鎖のついたソルヴォートの瞳と同じ紅玉の首飾りだった。
「お守りだ。こんな状況で、いつキアラが戦場に立つか分からないからな。少し前に作らせておいたんだ」
囁きながらソルヴォートは首飾りを自らキアラにつけてやった。

「旅をしている間、それを私だと思って肌身離さず持っていてくれ。必ず君を守るだろうから」
「ありがとうございます・・・!――では、私もこれを」

少し赤らんだ顔でキアラは自分の右腕につけていた銀の腕輪をソルヴォートの腕につけた。
するとソルヴォートは一瞬目を丸くしてキアラを見、そして納得したように頷いた。

実は、このキアラが唯一アクセサリーとして身に着けている腕輪はキアラの亡き実母がプレゼントしてくれたものだ。
腕輪にはキアラの瞳と同じアクアマリンがはめこまれていた。

キアラはどうしてもこれをソルヴォートに渡したかったのだ。
先ほどのソルヴォートと同じくどんなに離れていても想っている、という事を伝えるために。
もちろんソルヴォートはキアラの気持ちにすぐに気付き、それ以上は何も言わなかった。

「――では、ソルヴォート様。行って参ります」
「ああ。・・・・気をつけてな」

キアラは歩き出した。




アズベリアと、ソルヴォート。そして自分の未来を守るために――――