それが目の前に現れた瞬間、クラトスの全身が凍りついた。
見れば彼の幼い息子も同じ状態で、顔色は最悪だった。
(現れたな……『赤い悪魔』!)
冷や汗が頬を伝うのも気付かない。
かつて大戦を終結させた四大英雄の一人であるクラトスさえ恐れおののく『赤い悪魔』。
その正体は―――
「もー。クラトスもロイドもトマトぐらいでそんな死にそうな顔しないの!!おまけしてくれた八百屋さんに申し訳ないでしょっ!」
妻のアンナによって丁寧に切り分けられたトマトが食卓にならべられた。
「さぁ二人とも。今日という今日は残さずきっちり食べてもらうわよ!」
いつもは優しい妻が、何故か鬼に見えた。
これもきっとヤツのせいだ、とクラトスは卓上のトマトを睨んだ。「ほら、ロイド。トマトおいしいよ?食べてみて」
「いやっ」
顔を背けた息子に、アンナは容赦なく切り札を使った。
「好き嫌いしてる子はお父さんみたいに強くなれないんだけどなー?」
「うっ!」
予想通りにロイドが怯む。だが彼はまだ負けていなかった。
「おとうさんもトマトたべないもん!」
「う…っ!」
今度はアンナが怯む番だった。
(さすが私の息子。いい切り返しだ)
と、クラトスが変な感心をしていると。
「それもそうね…。ロイドの言う通りだわ。やっぱり子供には、まず親が見本を見せないと!
というわけで」
にっこりとアンナが笑った。
「はい、クラトス。あーんして」
妻の甘い声につられて、クラトスは不覚にも口を開けてしまった。
一拍後、口の中に独特のみずみずしさと酸味が広がり、クラトスはようやく事を理解した。
「くっ……」
慌てて水で流し込むクラトスをよそにアンナはロイドに微笑んだ。
「ね、ロイド。お父さんは強いからトマトも食べられるのよ。お父さんみたいになりたかったら、ロイドもちゃんとトマト食べないと!」
「うー…」
「ほら、あーん」 すると、嫌々ながらもロイドはトマトを口に入れた。
「偉いわロイド!さすが私とクラトスの子ね」
アンナがよしよしと頭を撫でるが、ロイドの顔色は最悪なままだった。
それから数年後―――
「あっ!ロイドまたトマト残してる」
甲高い少女の声に、少年の肩が目に見えて揺れた。
「ど…どうしてもそれだけは駄目なんだって」
「駄目だよ!トマトは体にとってもいいんだから。
ほら、あーんしてロイド」
ロイドはしばらく躊躇っていたが、とうとう観念して口を開けた。
そんな息子を少し離れた場所から見て、クラトスはあの日を思い出した。
『はい、クラトス。あーんして』
もう二度と聞けない、愛しい妻の声が蘇る。
思わず笑みをこぼしながら、クラトスはよけていたトマトを頬張った。
久しぶりに口にした『赤い悪魔』は、ほのかに甘い味がした。