積み上げられた書類の山。
それの一つ一つに目を通し、必要があれば署名をしているのは、サンディスの12代目国王、カノン・ブレッドだ。
11代目国王、王妃は共に伝染病で5年前に他界してしまったため、彼は齢17にしてこの国を治めている。
しかし彼の働きは、年齢を感じさせないような見事なものだった。
幼い頃から知識の吸収は並外れており、一度教えれば完璧に覚えてしまうのだ。
剣術も、もはやサンディスで彼にかなう者はいない。
今のところ、サンディスは平和だ。これといった問題はない。
もともと小さな国なので、国内の紛争などもなく、ここ数百年の間は政治も安定している。
だからといって国王に仕事が無いわけではなく、今日もカノンは一度も部屋を出ていない。
ようやく一段落して書類を整え、カノンは大きく深呼吸をした。
すると、小さく開いた扉の隙間から申し訳なさそうに覗いている少年に気付いた。
弟の姿を認識して、カノンは微笑んだ。
「レイ、どうした?」
「あの・・・兄上・・・・」
「そんなところにいないで、入ってきたらいい」
その言葉を聞いて、レイの表情はぱっと明るくなった。
笑顔を浮かべながら近づいてくる弟を見て、カノンの表情もまた一段と穏やかになった。
両手を後ろに回して、レイはゆっくり隣にやってきた。小さな背中の後ろに、一輪の花が握られているのが見える。
「これを・・・兄上にわたしたくて」
カノンを驚かせるつもりだったのだろう。レイは手を素早く前に出して、花を見せた。
小さな手の平に包まれた花は淡い桃色をしていた。
カノンは優しく微笑んで、花を受け取った。
「ありがとう。綺麗な花だな。何処に咲いていた?」
「ルカにもらいました」
なるほど。道理で珍しい花だと思った。
彼女は花を育てるのが上手く、植物が育ちにくいこの地でも綺麗に様々な花を咲かせる。
前に、いつか国を花で埋めつくす・・・・という様なことを言っていた気がする。
しかし彼女が何処で花を育てているのか、それを知るものはいない。
「ということは、レイはこの花が何処に咲いているのか知らないのか?」
「はい」
レイは、兄は何を考えているのだろう、ときょとんとした顔をしている。
「ルカは何処にいる?」
「掃除があるって、おしろのどこかにいきました」
「そうか・・・」
カノンは暫く考えるような仕草をとり、レイを見て言った。
「この花、何処に咲いているのか、探しに行こうか」
レイとカノンは城から少し離れた、熱帯樹の茂る森へと来ていた。
大臣達に見つかると何かと面倒なので、城を出たことは秘密だ。言わば脱走である。
カノンはこんなに笑顔のレイを見るのは久しぶりのような気がする。
同じ城の中で生活しているとは言え、彼らは寝るのも食事も別々の場所で済ませている。
カノンは国王という立場から弟と遊んでいる時間が無い。
レイはまだ7歳、遊びも勉強も必要だ。
なのでルカを含む世話係に囲まれて暮らしている。
今日のようにこっそり会いにくることもあるが。
そんなレイにとっては、兄に会いこうして遊んだり話したりすることが何よりも嬉しいのだ。
カノンもまた、レイと会うことを楽しみにしていた。
「そんなに走ると転ぶぞ」
兄の呼びかけも耳に入らないのかレイはひたすら走り、木の根に足を引っ掛けて案の定派手に転んだ。
カノンはため息をつくと、レイのもとへと駆け寄った。
膝を擦りむいており、カノンを映した瞳はみるみるうちに涙で溢れた。
「泣くな、大丈夫だ。男の子だろう?」
カノンの呼びかけでレイは手の甲で涙を拭き、泣きたいのをぐっとこらえた。
カノンはその間にハンカチを取り出し、水筒の水で軽く濡らしてレイの膝に巻いてやった。
「ほら、もう大丈夫。でも城に着いたらちゃんと消毒してもらえよ」
レイは小さく頷いた。
そんな様子を見て、何処で何をしたのかとルカに怒鳴られているレイが浮かび、カノンは思わず苦笑するのだった。
両側に木々の茂る道を、カノンは一人で歩いていた。
正確には、レイを背負って歩いている。
歩こうと思えば歩ける傷なのだが・・・カノンには少々過保護な面があった。
「足、大丈夫か?」
「はい・・・・ごめんなさい」
「気にするな。これから気をつければいいんだから」
「はい・・・」
レイは申し訳なさそうに答えている。
「もし私がいなくなったら、お前がこの国の王様になるんだぞ?しっかりしなければ・・・」
「兄上が・・・・いなくなる?」
レイの声が一瞬震えたのがわかった。元気付けるために言ったのに、どうやら逆効果だったようだ。
カノンは慌てて付け足した。
「たっ、例えばの話だが!・・・でも、しっかりしなければいけないのは本当だから」
「・・・僕は、兄上のような王様にはなれません」
「何故?」
「僕は兄上みたいに強くないから・・・・」
そこまで言うと、レイは黙り込んでしまった。
カノンはまれにみる天才だ。故に国からの期待は相当なものだった。
そのせいもあって、レイはほとんど国から相手にされていなかった。
自分は必要とされていない。レイは小さな体で、心で、少なからずそれを感じ取っていたようだ。
「そんなことない。レイは強い」
カノンはやや強い口調で言った。
レイが顔を上げるのがわかる。
「何より、お前は誰よりも優しいから」
しばらく呆気に取られていたレイの瞳に、再び涙が溢れた。
それは頬を伝って、雫となってカノンの首元に落ちた。
気付いたに違いないが、カノンは何も言わなかった。
涙を流しながらも、レイが微笑んでいたことを知っていたからかもしれない。
ふと、カノンは足を止めた。
そして目の前に広がる光景に、思わず息を呑んだ。
森の中心にたたずむオアシスの畔は、一面桃色が広がっていた。
レイが持っていたのと同じ花が咲き乱れている。100、200・・・いや、もっともっと多い。
「きれい・・・・・」
「本当だな・・・」
レイも花の美しさに、もう泣くのを忘れている。
これが、ルカの花畑。
この熱帯林に踏み込む者はまずいない。
国王の彼も、今の今までここにオアシスがあるということすら知らなかった。
魔物が出るとか、人食い植物がいるとか、迷ったら死ぬまで出られないとか、この森には物騒な噂が絶えない。
しかし実際はとても美しい所だった。
どうやら噂は、彼女が流したものらしい。
そんなことを考えながら、カノンが花畑に見とれている時だった。
「あー!!陛下!?それにレイ様!?ここで何してるんですかっ!?」
叫び声にも似たルカの声が聞こえた。
「お城にいないから何処に行ったのかと思えば・・・・」
「見つけたぞ」
「え?」
「ルカの花畑、レイと一緒に見つけた」
微笑んで見せたカノンに、ルカは一瞬呆気にとられたような顔をした。
そして呆れたようにため息をついた。それはどこか微笑んでいるようにも見えた。
「見つかっちゃったかぁ・・・・じゃあ、私と陛下とレイ様、三人の秘密ですよ?」
ルカが口元に指をあててみせると、レイは笑顔で頷いた。
カノンも「わかった」と言って頷く。
「さあ、そろそろ帰らないとお城が騒ぎになります!」
回れ右をして帰っていくルカを見ながら、カノンもレイを背負い直して花畑に背を向けた。
帰る途中、レイはルカに聞こえないよう、カノンにそっと耳打ちした。
―――ねぇ、兄上
どうした?
また、二人でこれますか?
そうだな・・・・また、こようか―――
城に帰った後、レイは何処で何をさせたのかとルカに怒鳴られている兄の姿を見た。
+++++あとがき+++++
卯月フレアさんからのリクエスト『砂漠王子と砂漠王子の兄上様の過去話』
まずフレアさんにお詫び・・・遅くなって申し訳ありませんでした!!何ヶ月待たせるんだよってつっこんで頂いても結構ですんで(_
_;
砂漠兄弟+ルカになっちゃいました;こんな感じで宜しかったでしょうか。
ルカは多分当時15歳ぐらいです。カノンよりちょっと年下ーぐらい。
ほのぼのした話目指して書きましたが、どうなんだろう(汗
リクエスト、そして素敵なネーミング、ありがとうございました!
2008.4