42 旅立ち


「―――いたぞ!脱走した『鎧人形』とシェリー姫だ!」

中庭に新手が現れるまでそれほど時間はかからなかった。彼らの纏った外套には、王家の紋章が印されていた。

「サフィアス殿下直属の親衛隊か……」

ちっ、と舌打ちしギルストは立ち上がった。

「シェリー…いや、ココ。お前は早く行け。ここから逃げろ」

「えっ……?」

「勘違いするな。私はただ姉上が命をかけて守ったものを守るだけだ。……さっさと行け。姉上の死を無駄にする気か」

ココは腕の中のシャルロットを見た。いつものように優しい微笑みをたたえたまま逝ってしまった姉を。
彼女はココが無事逃げ延びることを望んでいた。そして、ごめんなさいと謝られるよりありがとうと喜ばれるのが好きな人だった。

「―――さようなら…私の、たった一人のお姉様……」

永久の眠りについた姉をそっと横たえると、ココは立ち上がった。
するとギルストはガーネットに向き直った。

「貴方も早く行かれよ、ガーネット殿下」

迫りつつある兵士たちに剣を抜こうとしていたガーネットの動きがぴたりと止まる。

「……戦うつもりか。たった一人で」

「貴方がここにいてもサフィアス殿下の怒りを煽るだけだ。母君を救うこともできない。

こで無駄足を踏まれるよりも、手綱も握れぬこの娘を連れて行ってもらえるほうが助かるのだが?」

「……分かった」

行くぞ、とガーネットに促されココは走りだした。
すでに兵士たちはすぐそこまで迫っている。だが、ココは一度だけ振り向いた。

「ギルスト…お兄様、どうか無事で……!」



「ふっ…お兄様……か」

遠ざかる足音を聞きながら微かに笑んだ。それはいつも冷笑とは違う、シャルロットによく似た微笑みだった。

『兄』と呼ばれたのは生まれて初めてだった。時折顔を合わせる弟たちからは一度も呼ばれたことがない。彼らにとってギルストは次期公爵の地位に居座る邪魔者でしかないのだ。
したがって『兄』と呼ばれたことはギルストにとってとても新鮮なことだった。

「―――妹、か。……案外悪くない」

スッ、と剣を抜く。
彼の横顔はすでに戦場の戦士のそれに変わっていた。

「今度こそ―――守りぬいてみせる……!」

直後、剣と剣がぶつかり合う音が庭に響いた。



太陽が西へ傾き、辺りが夕焼け色に染まった頃―――
二人はリーゼラント城から東北にあるシアン平原にたどり着いた。
森を一つ挟んだここからでも、かの城の白い城壁とそれを照らす柔らかなオレンジ色の夕焼けの美しい対照を遠巻きに眺めることができる。

「―――ここまで来ればひとまず安心だろう」

先に降り立ったガーネットの手を借りてココは馬から降りた。
地に足をつけた途端、疲れからかがくん、とバランスを崩れる。それを難なくガーネット受にけ止められ、自然と彼に寄り掛かる体制になった。

「ごっ、ごめんなさい!」

慌ててココが離れると、彼はいつもの無表情を少し曇らせた―――ようだった。

「……大丈夫か?すまない、追っ手を気にするあまりに少し無理をしたな」

「うっ…ううん!私は大丈夫よ。ちょっとぼーっとしてただけ」

ココはそう言ったが、疲労しているのは誰の目にも明らかだった。

「ありがとう、ガーネット。ここまで連れて来てくれて」

無理をするな、と言おうとしたガーネットの先手を切り、ココが言った。それにガーネットはため息を一つついた。

「……いや、俺はギルスト殿に言われた通りにしただけだ。それよりもココ、お前はこれからどうするつもりだ?」

「私はレヴィネリアに帰るわ。村は無くなっちゃったけど、ジークはまだ国のどこかにいるんだもの。だから、彼を探す旅にでるわ」

ココは少し寂しそうに笑った。

「だから、あなたとはここでお別れね。今まで本当にありがとう。あなたに出会えてよかったわ」

「……ココ。おまえまさか一人で国境を越えるつもりか?いくらなんでも無謀だぞ」

「もちろん無謀だってことは分かってるわ。でも行かなくちゃいけないの。もう一度ジークに会うために」

山の向こうに沈む太陽が、最後の光を放った。あたたかくもどこかもの悲しい黄昏れの光を受けてココの金髪がまばゆいほど輝く。
だが、彼女の瞳はそれに見劣りしないほどの輝きをしていた。先程までのどこか頼りなげな儚さはなりを潜めている。

(それほどまでに強い意志があるということか……)

しばしその美しさに見とれたのち、ガーネットは言った。

「ならば、ひとまず双龍族のもとへ向かうといい」

「双龍族の?」

意外な言葉にココは目を丸くした。

「ああ。遠回りになるが、双龍族はガルティウスと違って自らレヴィネリアに攻撃すれことはないから、少しは警備が甘いだろう。俺の身内の力を借りることもできる」

「なるほど……でも、なんでそんなことを教えてくれるの?」

すると、ガーネットがふっと微笑んだ。

(ガーネットが…笑った……!?)

今までほとんど感情をあらわにしなかった(封印されていたのだから当然なのだが) 彼の微笑に、ココはドキッとした。

「お前には封印を解いてもらった恩がある。…ジークだったな。彼のもとに行くまで、私がお前を守ろう」

「えっ―――」

「……嫌なら構わないが」

「ち、違うわ!その反対よ。とっても嬉しいわ。でも本当にいいの?危険なことには変わりないし、あなたの家族にも迷惑なんじゃ……」

「心配するな。俺は不老不死の『鎧人形』だ。それに、恩に必ず報いるのが双龍族だ。迷惑だなんて思う者はいない」

「そう……。じゃあ…これからよろしくね、ガーネット―――あっ」

差し出した手が左手―――呪いが刻まれた手だったことに気付き、ココは急いで引っ込めた。それをガーネットが難なく握った。

「こちらこそ、だ」

その途端、ココは自分の目が熱くなったのが分かった。だがそれを見たガーネットがぎょっとするのが見えて、くすっと笑った。

(こういうこと……前にもあったわね)

あの時も、彼の優しさに涙が溢れたのだ。

「さぁ、行きましょう。双龍族の里へ!」

ああ、とガーネットが頷くとともに馬がいなないた。
まるで返事をしたようで、ココは初めて声をあげて笑った。



―――こうして、『呪われし娘』ココと『鎧人形』ガーネットの旅は始まったのだった。