5 柘榴石の瞳
(今のは…夢?)
唐突にココの意識が覚醒した。じわじわと、今までの出来事の非日常性を実感する。
(夢かぁ…よかった…!)
村が滅んだのも、母が殺されたのも、全部夢だったのだ。ココはほっと息をついた。
(すごい悪夢だったわ…。ホントに夢でよかった)
しかし、夢とは思えないところがあった。
最後に殴られた腹がまだ痛い。夢というには生々しい痛さだ。
(まさか…本当に?)
あの出来事があったのだろうか。
心配になったココはそっと目を開け、現実はそう甘くないことを痛感した。目に飛び込んできた景色は全く見覚えのないものだったのだ。
金と茶で統一された部屋は、まるで絵本にでてきたお城のように華やかだった。
さっきまで身を預けていた寝台は、三人はゆうに横になれそうなほど大きい、ふかふかの羽根布団に天蓋つきの超豪華なものだし、部屋に置いてあるほかの家具も高価なものばかりだ。
「ここは…どこ?」
口にしてみて、不安になった。こんな絢爛豪奢な部屋に何故自分はいるのか。
(もしかして私、売られたとか…!?)
それはおおいに考えられた。というか、それしか考えられない。
「どどどうしよう…!?」
彼にもう一度会うためにはセレニエ村で彼を待たなければならない。だが、だれかの所有物となってしまったら、村に戻ることさえできないだろう。
ココは広い部屋を見回した。…誰もいない。
もしかしたらドアの外に見張りがいるかもしれないが、このまま待っていても村には帰れない。
そっと寝台を降りて、ココがドアに手を伸ばす。すると、ドアがひとりでに開く…わけはなく、人が入ってきた。ココは思わず声をあげた。
「あ…あなたは!」
入ってきたのはココの逃走を止めたあの青年だった。
(こいつさえでてこなかったら…っ!!)
キッとココは青年を睨みつけた。だが青年は気にした様子もなく、手にしていた盆を彼女に押し付けた。
「目が覚めたならこれを食べろ」
「え?」
虚をつかれ立ち尽くしているココに代わって、青年が盆の蓋を開ける。盆にのっていたのは冬野菜をふんだんにつかったシチューだった。
「あれからずっと眠っていたから腹が減っただろう」大きな窓を振り返ると、陽が沈みかけていた。もの悲しい夕日の光が部屋を包んでいく。
表情を変えないまま青年は続けた。
「…腹はまだ痛むか」
またしてもココは虚をつかれた。無表情ながら、青年が自分を気遣ってくれていることが読み取れた。
(なんでそんなこと…)
神の子孫であるレヴィネリア人に仇なすガルティウスに与する者は残虐で陰湿で血も涙もないと教えられた。実際に今日、嫌というほどそれを感じた。だが、この青年は何故か違う気がした。
(ガルティウス人じゃないからかしら…?)
ココは不思議に思いつつ、答えた。
「まだ痛むけど、だんだん治まってるからそんな心配することないわ。」
いつの間にか、この青年に対しての憎悪は消えていて、素直にそう言えた。
そして豪華すぎるテーブルにつき、温かいシチューを口にした。部屋は暖炉に火が入っていて暖かかったが、体は緊張で冷え切っていて、初めて熱が行き渡った気がした。おかげで少し落ち着き、ココは青年に話を持ち掛けた。
「ねぇ、ここってどこなの?」
無表情のまま、青年は告げた。
「ここはガルティウス側の国境の街、ノウスだ」
「…やっぱりガルティウス領なのね」
うすうす気付いてはいたが、落胆する気持ちを隠せなかった。
国境をたった一人で渡るなど、自殺以外の何物でもない。近づくだけで両国から攻撃をされ、命の保証はない。
だが、ここで諦めては二度とジークには会えない――
「脱走は、考えないほうがいい」
不意にそう告げられ、ココは目を見開いた。
「お前は今の所殺されはしない。利用価値があると、言っていた。だが…」
今まであらぬほうを見ていた青年が赤い瞳がココに向けられた。
「逆らえば死より恐ろしい仕打ちが待っている。少しでも安らかな死を迎えたいなら、大人しくしていたほうがいい」
「死より恐ろしい仕打ち…?」
「知らないほうが身の為だ。」
空になった皿を手に青年は立ち上がった。
「ち…ちょっと待ってよ!他にも聞きたいことがあるの!!」
「なんだ」
「…あなたは何者なの」
ココの言葉に青年が振り返る。
「その黒髪に赤眼…。あなた、ガルティウス人じゃないんでしょ?なんでガルティウスに付き従ってるの?」
「…知る必要のないことだ」
「どうして私を気遣ってくれるの?」
「気遣ってなどない」
「……じゃあ、あなたの名前を教えて」
すると、青年は押し黙った後に答えた。
「…奪われた」
「え?」
「名は奪われた。だから分からない」
「名を奪われた?」
もしかしてこの青年は奴隷なのだろうか、とココは思った。レヴィネリアの奴隷は名を捨てられ番号で呼ばれる。ひょっとしたらガルティウスも同じなのかもしれない。
「名前を奪われるなんて…。…じゃあ私はあなたをなんて呼べばいいの?」
「…好きなように呼べ」
「好きなようにって…」
困り果てながら、ココは青年を眺めた。
やはり目につくのは赤い瞳だ。赤い瞳の人間など、見たことも聞いたこともない。
(そういえば、初めて会ったとき)
そのあまりの美しさにココは石榴石を連想したのだ。
(――そうだ)
ココは自分よりずっと背の高い青年を見上げた。
「ガーネット。ガーネットなんてどうかしら」
宝石みたいに綺麗な瞳だからとココが付け足すと、青年は目を丸くした。
それはほんの一瞬のことで、青年はすぐ無表情に戻ると「好きにしろ」と呟いてさっさと立ち去ってしまった。だがココはしっかりとその一瞬を見ていた。まるで人形に命が吹き込まれたような一瞬を。
――後にこの青年、ガーネットと共にココは大陸をも揺るがす革命をもたらすのだが――…
今は誰ひとりとして知る者はいなかった。
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