14 花嫁修業



リーゼラント城から最も近い離宮、ラグナ宮まで行くには、たいして時間はかからなかった。
すでに整えられていた部屋に案内されたココは、ソファーに腰掛けて一人頭を抱えていた。
原因は義姉シャルロットのこの一言。

「貴女はなにも心配しなくていいのよ、シェリー。一月後の結婚式までに、このわたくしが必ず貴女をサフィアス殿下に相応しい貴婦人にしてみせるわ」

馬車でにっこりとそう言われたココは、驚きのあまり立ち上がってしまった。

「ひ…一月って…!早過ぎなんじゃ…」

実はほとぼりが冷めるのを見計らってルドナー公爵家から脱走しようと思っていたココにとって、それは短すぎるタイムリミットだった。
通常、王族や貴族の婚約期間は大掛かりな結婚式のために長くなるものなのだ。しかも、ココは平民であるうえにガルティウス王国には一昨日来たばかりで、礼儀作法どころか風習さえしらない。
とても一月で未来の王妃は完成しないのだが――…
その時、向かいに座っていたシャルロットの顔が陰った。

「…ごめんなさい。それにはいろいろ理由があるの。でも、今は言えないわ」

「…それは、私が信用できないから?」

ココはたいして気もなく言ったつもりだった。だが、シャルロットはそっとココの手をとった。
顔をあげると、姉は弱々しくも微笑んでいた。

「そうではないのよ、シェリー。話すことができないのは…私の心の整理ができていないからなの」

う言う間にも、姉の顔は暗くなっていく。

「ごめんなさいシェリー。ルドナー公爵家はもはや毒でしかないの。せめて貴女だけでも幸せになってほしいのだけれど……」



思い出すうちに、結婚式のことより姉のことが気掛かりになってきた。

「あの人は、嫌いじゃない…むしろ…」

ぽつりと本音がこぼれた。シャルロットは美しいだけでなく、優しい。ココの呪われている左手を握り、微笑んで話しかけてくれたのは、彼女が二人目だ。おかげで、ココはあの姉をいっぺんに好きになった。
しかし―――

「一月後までに、ここから脱出しなきゃ…」

ココはサフィアス王子と結婚させられてしまうのだ。ジークに会う為には、なんとしてもそれまでに脱出しなければならない。

「お姉様には悪いけど、花嫁修行は必要ないわ」



花嫁修行は翌朝から始まった。
まずは朝食がてらのテーブルマナーからだ。
ガルティウス王国とレヴィネリア帝国はもともと一つの国だったので、形式自体は昔ジークから教わったものと大差はなかった。とはいえ、彼から教わったのは庶民でも知っている簡単なものだけだったので、使うナイフの順番を間違えたり、ナプキンの使い方がおかしかったりして、しょっちゅう指摘された。

朝食の後は歩き方や振る舞い方のレッスン、言葉の使い方、果ては社交ダンスまで教えられた。必要以上にゆったりと、遠回しな貴族の振る舞いを真似るのは、ココにとって芝居をしているようなものだった。
そして昼食で再びテーブルマナーを学び、午後は王国の歴史やしきたりなど様々な勉強をさせられた。

慣れないこと続きで、ココは何度か目を回しそうになった。その度にシャルロットが優しく微笑んで手ずからお茶をいれてくれる。 敵国に拘束されている状況ながら、いつしかココはこの生活の中に小さな幸せを見つけていた。