19 昔語りV
太陽が西へと傾き始めた。急がなければ。そろそろ侍女達が晩餐会のために新調したドレスを持ってやって来るはずだ。
彼女達に見つかったら、家出など絶対止められる。
もしかしたら、二度とそんなことができないように軟禁されるかもしれない。
背中を這い上ってくる悪寒に気付かないふりをして、シャルロットはまず動きやすい裾の短いワンピースに着替えた。
その上に目立たないように濃紺のローブをはおると、今度はそばにあったお気に入りのポシェットに髪飾りや指輪をぎゅうぎゅうに詰め込む。
(これを売れば、少しはお金になるかしら)
そして最後に、壁に立て掛けられている母の肖像画へ顔を向けた。
(お母様―――…)
額縁の中の母は、生前と変わらぬ優しい眼差しをしていた。
「お母様……わたくし、決めました。お母様の望まれた通りに、わたくしはわたくしだけを愛してくれる方を探しに行きます」
そっと母に触れてみる。だがそこにはかつての温もりはなく、歌うような笑い声も返ってこない。
それでもシャルロットは母に語りかけることを止めはしなかった。
「おそらくここにはもう戻ってこないでしょう。お母様にお目にかかることもないでしょうね……」
シャルロットはぐるりと部屋を見渡した。
13年もの時をすごした場所なのに、一切の愛着も未練もわかない。あるとすればこの母の肖像画がくらいだ。
「……さようなら…お母様―――…」
広大な敷地をもつルドナー公爵家の屋敷には、小さな森がある。その森を抜けると、屋敷にある門の中で最も警備の甘い東門があるのだ。
部屋を抜け出したシャルロットはひたすら東門を目指して歩いていた。
この森はもともと散歩用に植えられたものだが、父は愛人の家に入り浸ってほとんど屋敷には戻らず、唯一ここでの散歩を楽しんでいた母もなくなったため、今は滅多に使われていない。シャルロットが逃げるためには、うってつけの場所だった。
ここまで来れば大丈夫――シャルロットがそう思ったときだった。
「――どこに隠れた!隠れてないで出て来いッ!!」
突然怒鳴り声が聞こえて、シャルロットの体に緊張が走った。
(もう気付かれた!どうしよう……!)
恐怖に震えながらも、とにかく身を隠そうと茂みに潜りこんだ。
「隠れたって無駄だぜ!お前なんかすぐに見つけてやる!!」
「見つけたらただじゃおかないからな!」
「覚悟しとけよぉ!!!」
続けざまに聞こえるどの声も、まだ声変わりをしていない子供の高い声だった。
(下働きの子供かしら……!?)
心臓が音をたてて動き、息もあがってきた。
声から離れようとシャルロットが後ずさると、何かがぶつかってきた。
「―――ッ!?」
あまりの恐怖にシャルロットが叫ぼうとした瞬間、後ろから伸びてきた手によって声を封じられた。
「!!!」
混乱のあまりもがき暴れるシャルロットの耳元に、背後の人物が囁いた。
「――静かに。騒いだらあいつらに見つかるから、大人しくしてくれないか」
その声もまた、声変わり前の声だった。
しかし先程の声とは裏腹に静かで落ち着いた、思慮深く耳に心地良い声だ。
ようやく落ち着きを取り戻したシャルロットが振り向くと、そこにいたのは彼女と同じ年頃の少年。
ガルティウス人の証である金髪に青い瞳のその少年を見て、シャルロットは目を見開いた。
(お父様――…!?)
驚きのあまり声がでないシャルロットに、彼女の父にうりふたつの少年は小さく笑った。
「貴女がシャルロット姉上……ですね?僕はギルスト・ヴァイス。――貴女の弟です」
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