20 昔語りW
「貴方が、わたくしの弟……!?」
驚きを隠せず、シャルロットは目を見開いた。
(弟なんて、わたくしからお父様と公爵家を奪う卑劣な人間だと思っていたのに――…)
目の前の少年――ギルストの瞳のなんと清々しいことか。
その穏やかで気品溢れる物腰は、社交界でもなかなかお目にかかれない。
彼のなにもかもがシャルロットの想像と違っていた。
「先程は、知らぬこととはいえ姉上に無礼をいたしました。申し訳ありません」
「いえ…どうか気になさらないで、……ギルスト」
名前を読んだ途端、ギルストは嬉しそうに微笑んだ。
「……姉上は、話に聞いていた通りの方ですね。お美しいだけでなく、とてもお優しい。一目で姉上だと分かりました」
とくん、と胸が高鳴るのが聞こえた。
思わずシャルロットが胸に手をやると、いつもよりはやい鼓動が伝わってきた。
(――どうしてこんなことで緊張してるのかしら)
こんなお世辞は常日頃飽きるほど聞いているのに――
「ところで、姉上はなぜこのようなところに?しかもお一人で」
「そ…それは…。貴方こそ何故こんなところに隠れているのです――きゃっ!」
突然、ギルストに抱き寄せられたかと思うと、それまでシャルロットがいた場所に石が飛んできた。
「姉上、大丈夫でしたか!?お怪我は―――」
「ええ……大丈夫です。ありがとう。貴方のおかげです」
見上げるとギルストの顔が思いのほか近くて、シャルロットは慌てて顔を背け、転がった石を見つめた。
「どうして石なんて――貴方が助けてくれなかったら、私は大怪我をしているところでした」
ギルストは少し照れ臭そうに笑ったあと、シャルロットをそっと背後へ押しやった。
「……僕はあれから逃げるために隠れていました。……けど」
どうやら先ほどのシャルロットの悲鳴が聞こえたらしい。複数の足音が迫ってきていた。
「あなたは何故石を投げられ追われなければならないのです?わたくしの弟なら、今宵公爵家の後継ぎになる可能性があるのに」
「だから、ですよ」
微かに笑いながらギルストは立ち上がった。
「僕を追っているのは、僕の兄や弟……つまり貴女の弟達です。全員腹違いの兄弟ですけど」
「……どういうこと?」
「貴女の弟達は公爵の地位が欲しくて欲しくてたまらないんですよ。だから、宴までに邪魔者はできるだけ廃除したい。まぁ、よくある話ですね」
「貴女も……欲しいのですか」
この少年も、結局想像通りに欲にかられているのだろうか。
なぜか目が熱くなって、思わずシャルロットが俯いたとき。
「……死んだ母との約束なんです」
「――え……?」
まるでシャルロットの心を見透かしたように、ギルストは語り出した。
「母は、下町に住むごく普通の娘でした。さほど美しくはないけれどとても優しい人で、父上に見初められ僕を授かった。はじめ母は僕を庶民の子として育てていました。…だけど」
不意にギルストの目が細められた。
「僕が三歳のとき、徴兵で戦場にいた母の父と弟――つまり僕の祖父と叔父が戦死してから、母は豹変しました。僕を公爵家の後継ぎにすることに執着し始め、僕に礼儀作法から剣術まで学ばせたのです。貧しい家計を推してまで。その結果、母は栄養失調で亡くなりました」
「……どうして母君はそこまで公爵家の地位を欲しがられたのですか」
「戦争を終わらせたかったそうです。かつての功績によって王族に次ぐ権威を持つルドナー公爵家の後継ぎになれば、家族を奪った戦争を終わらせられるかもしれない。私と同じ悲しみを他の誰かに味わわせたくない。だから後継ぎに選ばれる立派な人になってほしい――と。憐れで愚かな……けれどとても優しい人でした」
「……ギルスト……」
「さぁ、姉上はお屋敷にお戻り下さい。このままここにいらしては、お怪我をされるかもしれません」
「あ…でもわたくしまだ――」
自分を大切にしてくれる人を探すために家出してきた、とはいえずシャルロットが口ごもったそのとき。
「見つけたぞ!」
茂みから三人の少年が現れて二人を取り囲んだ。
「さっさとここから出ていけ!ここはお前みたいな庶民がいていい場所じゃないんだよ!!」
少年達が手にしていた木刀でギルストを殴りだした。
「ギルスト!!」
思わずシャルロットはギルストに駆け寄り、少年達に立ち塞がった。
「貴方達、恥ずかしくはないのですか!丸腰の相手に暴力を振るうなど、真っ当な殿方のすることではありませんよ!!」
見知らぬ少女にいきなり怒鳴られて少年達が怯んだ。「な…なんだよお前!」
「俺達にそんな偉そうなこと言っていいと思ってるのか!?」
怒鳴る少年達に、シャルロットは指を突き付けた。
「次にこのようなことがあったら、このわたくしシャルロット・ラム・ルドナーが許しませんからね!!分かったら母君のもとへお帰りなさい!」
「シャルロットって……まさか」
「俺達の姉様!?」
「すっ、すみませんでしたっ!!」
全速力で逃げて行く少年達を見送ると、シャルロットは振り返った。
「大丈夫?たんこぶとか、できてないですか?」
そっと頬に触れると、ギルストが泣きそうな顔で笑った。
「僕、情けないですね。女の人に守られるなんて……格好悪い……」
「そんなことありません!貴方は剣が使えるのに一度も使わなかったでしょう」
「――!」
目を見開いたギルストに、シャルロットはにっこりと微笑んだ。
「暴力を嫌う母君の教えに従ったのでしょう?どれだけ傷つけられても武力を使わないのは、本当に強い方だけ。貴方はとってもかっこいい。わたくしはそう思います」
「姉上……」
ギルストの頬が徐々に赤く染まっていくのを見て、シャルロットは自分の顔も熱くなっていることに気付いた。
「そ、そろそろ戻りましょうか。お洋服が汚れてしまったから、婆やに頼んで新しいものを用意してもらわなければ」
「そ…そうですね。あ、でも姉上はまだ何か用事があったのではないですか?」
「いいえ、もう探し物は見つかりましたから。さあ、帰りましょう」
返事をするかわりに、ギルストはシャルロットの手をとった。
――この日の夜、公爵家の後継ぎに選ばれたのは、ギルストだった。
「まさかお姉様とギルストが……」
驚きを隠しきれずにココが呟いた。
「けれど今までの話はただの馴れ初め。本題はここからよ」
暗い表情でシャルロットは再び語り出した。
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