29 幕開けの朝



明け方の『悪夢の塔』――

夜のように黒い髪と瞳をもつ双龍族の青年、朔夜は笑みを浮かべていた。

「ずいぶんと遅いお出ましだな〜。おかげでここの生活にも慣れてきちまった」

すると牢獄にはびこる暗闇の中から、一人の女が現れた。
濡れたように艶やかな黒髪をもつ美しい女は不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、鉄格子ごしに立った。

「だったらずっとここに住んでれば?住めば都っていうし。長には私から言っておくから」

さっさと帰るそぶりを見せる少女にさすがの朔夜も慌て、必死にしがみついた。

「じょっ冗談に決まってんだろ!こんな陰気でむさい場所に住めるかってんだ!いやー助かった!助けにきてくれてマジありがと星羅ちゃ〜ん!!」

「分かったから離れろバカ兄貴!!ちんたらしてたら看守に見つかるっ!」

朔夜を追い払いつつ、少女――星羅が手際よく鍵を外した。

「あ〜ようやく出れた。やっぱシャバはいいねぇ」

猫のように伸びをする朔夜を見て星羅がぼそぼそと言った。

「……ごめん。あたしのせいでこんな目にあわせて……。本当はあたしが罰を受けるべきなのに……!」

「ばーか。気にすんな。かわいい妹を守るのは兄貴として当然だろ」

ぽんぽんと優しく頭叩きながら笑う兄に星羅が小さく「ありがと」と呟いた。
その姿に、朔夜は目を見開いた。

「……おまえ、なんか今日はやけに大人しいな。あ、さては生理…ぐはっ!」

「やかましいわ!このドスケベ!!」

「いってーな!何も殴らなくてもいーだろーが!」

「もーうるさい!ぼやきは後にして!今日は『蘇芳』を取り戻す絶好のチャンスなんだからさっさと探しに行くよっ」

「絶好のチャンスぅ?……そういえば今日はやけに外が騒がしいな。まだ日が出たばかりだってのに」

渡り廊下を行き来する女官達は皆、慌てていて落ち着きがない。
星羅が真剣な面持ちでうなずく。

「今日はサフィアス王子の即位式だそうよ。同時に結婚式も執り行われるから、てんてこ舞いってワケ。私達はその隙に『蘇芳』を奪い返すわよ」

「結婚式ねぇ……。相手の花嫁はどんなコだ?カワイイのか??」

星羅は興味津々な朔夜の頭をペシッと叩いた。

「気にするのはそこじゃないでしょ!……たしか花嫁はルドナー公爵家の二の姫、シェリー・ロズ・ルドナー姫だったはず」

「――シェリー・ロズ・ルドナーだって……!?」

「そ、そうだけど。……どうかしたのか?」

朔夜の脳裏に甦るのは半月前にここで出会った少女。彼女が新たに名乗ることになった名は、たしか――

「……まさか王子の婚約者にされるとはなー。よっぽど薄幸なのか……よし。ついでに少し助けてやるか。星羅、耳貸せ」

「は?」

開口したままの妹に朔夜はこそこそと耳打ちをした。





それから数時間後―――

太陽が王都を照らしはじめた頃、ココは女官達によって化粧を施されていた。
鏡ごしに自分を見ると、雪のように白いウェディングドレスが目に入った。
ココが膝の上でぎゅっと拳を握ったことに、支度に夢中な女官達は誰ひとり気付かない。

(ついにこの日が来てしまった……)

絶対に逃げるつもりだったのに、自分はまだここに囚われたまま。

(ジーク……)

のままでは、一生彼に会えない。しかも、あのサフィアスの妻になってしまうのだ。
(
一体どうすればいいの……ジーク……!!)

俯いたココの顔に女官が唇に紅をさした。

「さ、姫様。お化粧ができましたよ」

にっこりと笑う女官に促され、鏡を見ると、美しく着飾った自分がそこにいた。けれど、気分が浮かぶはずもない。
むしろ沈む一方だが、何も知らない女官達はそれを挙式前の緊張だととったようで、「とてもお美しいですわ」、「サフィアス殿下もさぞ喜ばれます」とココを誉めそやしはじめた。
そうこうしていると化粧室の扉がノックされ、侍従によって式の準備が全て整ったことが告げられると、ココは女官達に立たされた。

「参りましょう、姫様」

今更逃げ出すには、ウェディングドレスがあまりに重かった。