33 ふたりの王子V



「―――いやっ降ろして!降ろしてよ!!」

静かな廊下にココの声と彼女を担いで走る男の足音だけが響く。
いくら叫んでも男はただひたすら走るのみ。
このままでは人質としてこの男に誘拐され、最悪の場合には殺されてしまうかもしれない。

「離しなさいよっ!この卑怯者!」

ココは担がれたままおもいっきり男の腹を目掛けて足を蹴りあげる。
するとそれは追っ手に気を取られていた男のみぞおちに見事命中した。

「き…貴様……!」

男は呻いた後ココを床へ放り投げた。

「きゃあっ!」

床にたたき付けられたココが起き上がると、苦痛に顔を歪ませた男が剣を手に迫ってきた。

「くそっ……!小娘が調子に乗りやがって!!」

死ね!という言葉とともに剣が振りおろされる。

「きやっ……!!」

恐怖のあまり体の自由がきかなくなる。
逃げなくては、と頭では分かっていても一歩たりとも動けない。
(
ジーク……!)

ぎゅっと目をつむり、死を覚悟した、その時。
キィンッ!と剣を交える音がした。

(え……?)

恐る恐るココが目を開けると、目の前に見覚えのある背中があった。

「ガーネット……!」

「下がっていろ」

そう一言告げると、男の剣を弾き飛ばした。

「く…くそっ……まさかおまえが出てくるとは……」

後ずさる男に歩み寄ると、ガーネットは男の首に剣を突きつけた。背後でココがはっと息を飲むのが聞こえた。

「……サフィアス殿下の命令だ。―――死ね」

音もなく剣が振り下ろされる。

「やめてっ!!」

ココの声に、ぴたり、と剣が止まった。

「もうやめて!殺さないでガーネット!」

「何故だ。……俺はただサフィアス殿下の命令に従うだけ」

淡々と話すガーネットからはまるで人形のように一切の感情が感じられない。

「お願い。もうこれ以上人が死ぬのを見たくないの……!」

脳裏をかすめるのは、一月前のあの日の記憶。
白く美しい雪は血で紅く染まり、辺りには鉄のような臭いがたちこめていて。
そして、そこかしこに虚ろな目をした死体が、折り重なるようにいくつも転がっていた。
ある者は恐怖を浮かべて、ある者はあきらめたような顔をして、
ある者は涙を流したまま死んでいた。

(もう二度と、あんな姿は見たくない……!)

だから、もうやめて――!
ぽたぽたと、涙が頬をつたって床へと落ちる。
それでもココはガーネットから目をそらさなかった。見定めるようにココを見つめた後、ガーネットは剣を鞘に納め男に向き直った。

「……消えろ。今すぐここから」

それだけ言うと、今度はココのもとへ行く。

「……怪我は」

差し出された手に一瞬躊躇った後、ココは手をのばした。

「……ありがとう」



二人を背後から見ていた男はニヤリと笑った。

(ふっ……甘いヤツだな。そんなんだからつけこまれるんだぜっ……!)

感づかれないようにそっと懐の短刀を取り出すと、男は背を向けたままのガーネットに襲い掛かった。
先に気付いたのはココだった。

「ガーネット!危ないっ」

ココの言葉に即座に反応したガーネットは、彼女を庇おうと反対側の腕で抱きよせた。
だが避けきれず、短刀が左腕を裂いた。

「ガーネット!」

左腕を覗きこんだココは言葉を失った。

「――こ…れは……!?」

男の短刀によってざっくりと裂けたガーネットの左腕から、血は一滴たりとも流れていない。
だがそのかわりに裂けた腕の間からは骨ではなく、銀色に輝く鋼の鎧が覗いていた。