4 甦る惨劇
ココは村の入口に差し掛かったとき、思わず口元を押さえた。
「血の臭い…!」
医者である母の治療をこっそり見てきたココには、その臭いの濃さから事の異常さを感じることができた。
「…とにかく、お母さんのところに…行かなくちゃ」
そうは言っても、震える足が前に進ませてくれなかった。
(怖い…)
この血の臭いの酷さだと、考えられるのは盗賊かなにかの襲撃だろう。
(まさか…ガルティウス軍だったり…!)
ココの脳裏に母の姿が浮かぶ。かつて、ガルティウス軍……とココによって幸せを破壊された哀れな女性。
(……)
その時、ココの足が何かに当たり、ゴロ…と鈍い音がした。
「ひっ…!!」
ココの全身から血の気が引いた。足元に落ちていたのは、男の首だった。
それもよく見知った、森に行く前にココを罵った村人だった。胴体は少し離れた場所で血にまみれていた。
村人の顔はこれ以上ないほど目と口を開いていて、驚愕と死の恐怖を物語っていた。
怖い。これ以上進んだら殺されるかもしれない――そんな思いが頭をよぎる。
ココが足をすくませた時だった。
「おい、生き残りがいるぞ!」
野太い男の声が静まりかえった村に響いた。
「しまった…!」
ココはすぐ立ち去らなかったことを後悔したが、もう遅い。どこからか現れた二人の男に羽交い締めにされてしまった。
どちらの男も金髪に青い瞳で、鉄の甲冑を纏い、腰にガルティウス王国の紋章が刻まれていた。
「やっぱりこれは、ガルティウス軍の仕業だったのね…!」
ココは兵士達を睨みつけた。だが、兵士達は怪訝そうな表情で顔を見合っていて、気付かない。
「どういうことだ?この金髪に青い瞳は間違いなく俺達と同じガルティウス人の証じゃないか。なんでこんなところにいるんだ?」
「レヴィネリア人に捕われて捕虜にされていたのではないか?」
「…とにかく隊長のところに連れていこう。若い女は殺さず連れてこいと言われていたのに、他は抵抗されたせいで全て殺してしまったからなぁ…」
「あぁ…。どれも上玉だったからなぁ、惜しいことをした。夜の供にピッタリだったのによ…くくっ…!」
ココは血が煮えたぎるような感覚に見舞われた。全身から怒りが沸き上がってくる。
しかし、そんな彼女に構わず、兵士達は下品な笑みを浮かべながらココを引っ立てた。
道の端々に血だまりと死体が散在している。住み慣れた故郷は、戦場へと変わり果てていた。
やがて村の中心にある広場へとたどり着いた。
広場の中心には魔法で極寒の弛セレニエでも水が凍らないようにした噴水があり、そのまわりに数人のガルティウス兵が待機していた。
「隊長、生き残りの女を連れてきました」
ココの傍らの兵士が噴水の縁に腰掛ける、上司らしき男に声をかけた。隊長といっても、まだかなり若い。
ココより少し年上といったところか。軍人らしからぬ高貴な雰囲気の、整った顔立ちをしているその男がココを見た。
その瞳の冷たさにココが息を飲んだ、次の瞬間。
ヒュッという音と共に冷たい風が頬に当たった。と、思うと同時に生暖かい液体が顔にかかった。
「え…?」
ココが振り向くと、兵士が血を噴きながら倒れかかってきた。
「きゃあぁっ!!」
「うわぁっっ!!」
ココともう一人の兵士の叫び声が重なった。それをうるさそうに聞いていた隊長は剣に付着した血を拭いながら言い捨てた。
「愚か者が。私は娘は生け捕りにしろと言った筈だ。たった一人しか残らなかっただと?しかも…」
隊長はおもむろに立ち上がると、ココの顎を掴んで上向かせた。端から見ると恋人が口付けする様に見える。だが、ココの体は恐怖で震えていた。
(怖い――!)
海というより氷のような青の眼をしている。
「しかも、残ったのは捕虜のガルティウス人か。…つまらん」
隊長はココから手を離すと、一太刀で残っていた兵士を殺した。
「ギルスト様、そこまでにしておいてください」
隊長…ギルストに、それまで傍で控えていた、彼の父親ほどの年齢の男が言った。
「ロベス…貴様、副官の分際で口を出す気か」
「お気持ちはよく分かります。私もこの村の女は昔から美人揃いですから、期待していましたし。
ですが、このままだと帰路に着くまでに全滅しますからね。
…それに、目的の物も到着したようですぞ」
ロベスの視線を辿ると、そこにいたのは、縄で幾重にも拘束された…
「お母さん!!」
ココの叫びに、母は俯いていた顔をあげた。
母と初めて眼があう。だが、その眼差しには憎悪に染まっていた。
「やはりお前など産むべきではなかった…。…悪魔の血を継ぐ、呪われた子など…!」
「……ッ!!」
母はココを睨みつけ、声高に叫んだ。
「二度も屈辱を受けるものか!灼熱の焔よ、我を神の許へと導け!!」
ゴッ!という音と共に母の周りに炎が立ち上った。
「何をしている!さっさと女を引きずり出せ!!」
ギルストの声で我にかえった兵士達は、炎に立ち向かった。すると、炎がまるで意志をもっているかの様に兵士達を取り込みはじめた。
「うわぁあ――っ!!」
「たっ、助けてくれぇ!」兵士達が悶え苦しむ様を見て、母は笑っていた。
「もっと苦しめ!私がお前達から受けた苦しさを、絶望を味わえ!神聖なる聖地を汚した罰を受けるがいいわ!」
母の高笑いを合図に、炎が一層燃え上がりそして――…燃え尽きた。
あとには黒く焼け焦げた死体が残った。…それだけだった。
「お…お母さん…っ!」
ココは為す術無く、じっと、母だった黒いもの見つめていた。
(お母さん…)
守れなかった。自分のせいで、不幸にしたまま失ってしまった。
…最後まで、一度も愛してくれなかった。
(全部、全部私のせいだ…!)
「
うわあああぁぁっ!」
ココは泣き崩れた。叫び声が住人のいなくなった村に響き渡る。
「……何と言う事だ…!」叫ぶココを横目にギルストが言った。
「我々の任務は医者の連行だというのに、死なれるとはどういう事だ!何と言う失態!よくも我がルドナー家の名を傷つけたな!!」
ギルストは血走る眼でそう言うと、生き残りの兵士を目にも留まらぬ剣さばきで皆殺しした。
ギルストの眼がロベスを捉える。
「お、落ち着いて下さいギルスト様!まだ任務は失敗しておりません!!」
「戯れ事を…」
「戯れ事ではございません。あの娘がいるではありませんか!」
ロベスが震える指でココを指す。
「どうやらあの娘と女は親子のようです。何故ガルティウス人の容貌をしているのかわかりませんが、血を引いているのなら医者としての能力も継いでいるのでは!?」
「……なるほど…」
ギルストがココを見る。そして、血の滴る剣を片手に近づいて来た。
(殺される…ッ!?)
ココは逃げようとするが、腰が抜けてしまい、立ち上がることすらできない。その間にもギルストは歩み寄ってくる。
「いやっ!こないで――!!」
――…ココ
ふいに懐かしく優しい声が聞こえた。
(この声は…ジーク!?)
慌てて周りを見るが、彼の姿は無かった。
(空耳…?)
しかし声は聞こえ続ける。
――ココ、待っててくれ。必ず、戦争を終わらせてみせる…
――死ぬなんて、考えないでくれ
――必ず、帰って来るから
(あぁ…そうだ。これは)
あの別れの日の言葉だ。必ず帰って来ると、彼は繰り返していた。
(そうよ。こんなとこじゃ死ねない。だって、もう一度ジークに会うんだもの!!)
全身に力が戻ってくる。ココはおもいきり駆け出した。
「!まっ、待て!」
ギルストが慌てて追って来る気配がする。ココはがむしゃらに走った。
(絶対に捕まるもんですかっ!!)
ギルストは焦っていた。娘が先程までずっと怯えていたから完全に油断していた。既に差は埋めるのが困難なほど空いてしまっている。
「くそっ…!こうなったら…。出てこい!あの娘を捕らえろ――」
ココは村の出入り口に差し掛かった。
(よし、逃げ切れる――)
そう確信した時、ココの前に闇が現れた。
否、それは一人の青年だった。髪も服も、何もかもが黒いので闇に見えたのだ。ただ、眼だけは違った。
世にも珍しい、赤い眼だ。妖しくも美しい輝きに、眼が縫いとめられたようにそらせなくなる。
(まるで、石榴石…ガーネットみたい……)
それが、ココの記憶の最後だった。
直後、腹に拳を叩き込まれてココは気を失い、力無く青年の胸に倒れ込んだのだった。
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